Vol.02 , FIELD WORK
現場に入って、初めて「自分が何を知らないか」がわかった。
FIELD WORKという、仕上げのプログラムについて
「FIELD WORKってどんな感じですか?」と聞かれたとき、私はこう答える。「たぶん、想像より地味で、でも想像よりずっと濃く、刺激的な時間だと思います」と。
褒めているのか貶しているのか、微妙なラインだと自分でも思う。でも、本当にそうなので仕方ない。現場というのは、想像していたものと、だいたいズレている。そのズレこそが、FIELD WORKをカリキュラムの仕上げに組み込んだ理由である。
机の上で完成するものは、現場では完成しない
花の勉強をしていると、「きれいなアレンジメントやブーケが作れる」という感覚が先に育ちやすい。一般的なスクールの環境や花屋の環境は、その点だけで言えばおそらく基本的には整っているのではないだろうか。光も、時間も、花材も、ある程度コントロールされた状態で「作る」ことだけに集中できるからだ。
でも、リアルな現場はそうじゃない。
会場の光は、想定と違う色をしていることがある。搬入の時間が押して、設営にかけられる時間が削られることもある。当日になって、クライアントの気持ちが少し変わって、「やっぱりここをもう少しだけ良い感じに」と、抽象的な言葉で言われることもある。そういう変数の中で、花を扱う。それが仕事としての花だ。
私たちがFIELD WORKを大切に設計したのは、そこに早い段階で触れてもらいたかったからだ。LUVONICALのフローリストたちが積み上げてきた最前線の現場の感覚を、”授業”という形でちゃんと渡せる。そう確信できたからこそ、このプログラムが生まれた。
「準備の意味」が変わる瞬間
これまで、別の形でFIELD WORKに参加した人たちが、よく言う言葉がある。「準備の意味自体が変わった」というものだ。
現場での準備とは、単に道具を揃えることではない。さらにいうと、当日だけの準備を指すものでもない。当日起こりうる可能性を頭の中で様々なシミュレーションをして、何が起きても判断できる状態を作ることだ。花材の状態はもちろん、現場で関わる人たちの動きを事前に把握して、何をどの順番で、どのくらいの時間で仕上げていくを決めておくこと。そして、「もしこうなったら」という想定を、できるだけ多く持っておくこと。
その「準備の密度」が、現場での余裕を生む。余裕が、表現の質を上げる。その景色を外から眺める人の信頼感を上げる。これは頭ではわかっていても、一度現場に入ってみないと、体に落ちてこない。
FIELD WORKが目指しているのは、そういう「体への落とし込み」だ。飯田や仲村が現場で培ってきたものを、受講生が自分の体で追体験できる。それがこのプログラムの核にある。
「自分に足りないもの」が、初めて見える
私が荷物を運んでいた頃、横でフローリストたちが仕事をしていた。その速さと判断力に、最初は圧倒された。でも、見続けるうちに気づいたことがある。速い人は、迷っていない。迷わないのは、基準があるからだ。
その基準は、「これが正しい」という答えではなく、「なぜこうするのか」という理由だった。理由があるから、判断が速い。理由があるから、変化にも対応できる。
FIELD WORKで現場に入ると、自分にその基準がどれだけあるか、嫌でもわかる。「あの人はどうしてそこでああ動いたんだろう」「自分だったら、何を判断軸にするだろう」という問いが、自然と湧いてくる。
それが、「自分に足りないものを知る」ということだ。弱点を突きつけられる体験ではなく、次に何を学べばいいかが見える体験。その解像度が上がることが、FIELD WORKの一番の価値だと私たちは思っている。
最前線の現場を知ることが、表現の土台になる
花の表現というのは、現場を知っていないと作れない。
クライアントがどんな状況で花を必要としているか。その空間に、どんな人が、どんな気持ちで訪れるか。花が置かれた瞬間に、その場の何が変わるか。そういう文脈を理解していないと、「きれいなもの」は作れても、クライアントの意図を汲んだ「その場に必要なもの」は作れない。
FIELD WORKは、そのための感覚を育てる時間だ。技術を習得する場ではなく、花が機能する文脈を体で覚える場。そこで得たものが、後のカリキュラムと重なったとき、はじめて「あ、そういうことか」という理解になる。
現場は、答えを教えてくれない。でも、その代わりに問いを与えてくれる。良い問いを持つことが、「花で、際立つ」ための最初の一歩だと、私たちは思っている。